忘れかけていた時代の作品

2019.06.21 Friday

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    JUGEMテーマ:日々のくらし

     

     

     

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    男は路地を左へ曲がった。汚れたブロック塀と朽ちてペンキの剥げた木の塀の間をとぼとぼと歩く。朽ちた木の塀の内には雑草がそこかしこに生い茂り、人の住んでいる気配がまったくない。木の雨戸もぼろぼろに暗い家の中が垣間見える。男はその家の、元は入り口であったであろう壊れた門の前で足を止め、空を見上げて休んでいる。静かなもんだと思う。鳥の声しか聞こえないのだから。それから暫くして男が歩き出そうとすると、男の足元にまだほんの小さな子供が寝ているのに気がつく。幻だと思う。男は幻にちがいないと思う。男はその落とした幻を拾い上げると、またとぼとぼと歩き始める。 

     

     

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    男は川に沿った道を歩いている。大人が三人並べばいっぱいの細い道だ。川の側はコンクリートの壁が造られ数メートル下を川が流れている。川の流れはここ数年の町の努力により、少しずつ汚れがなくなっている。鯉が放流され、鳥も遊ぶようになった。しかしそれでもまだ綺麗とはいいがたいものであるだろう。男はその道を何の目的も無く、まあ、ぶらぶらと勝手気ままに散歩しているのだ。川と反対の側は家があったり空地があったりと男の目を楽しませてくれている。男は人の家を眺めるのが好きだ。それは子供の時からであったのを思い出している。あの頃、男は治療の為に歩いたりバスに乗ったりして、病院に通っていた。夕方の暗くなりかけた時間や雨の後のしっとりとした街、はたまた夏の蝉の鳴く暑い中、本当にいろいろな時を歩いたものだと、ふと思う。そしてその時の男にとって、道沿いの家は眺めて歩くひとつの楽しみだったのだ。夕闇の中でほんのりとついた電灯が曇りガラスに柔らかくうつるのを見る時、不思議と心は安らいだ。道を歩いていて台所の音が聞こえてくるとき、何故か浮き浮きとしながら歩いた。街を過ぎると家も疎らになり、木の茂った空地や畑となる。少年は裸電球の街灯が照らす道を、木と話しながら歩いた。木のやさしさは彼にとって歩く喜びだった。田舎で育った男に今でもあの頃の得も言われぬ喜びを伴なった光は訴え懸けてくる。散歩の折り家々はその家の持っている心を男に投げ掛けてくる。男はその度に立ち止まり心の中の温もりを意識する。男はそれだけで満足だ。 

     

     

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